『女神の宝冠』前編 [ 旅 ]『自由の女神』をご存知だろうか? 今回は、『無鉄砲inN.Y』の続編として、 『自由の女神』を、見物した時のお話だ。 ************** 多分ほとんどの人が知っていると思うけど、 簡単におさらいすると、 1. 自由の女神像は、 正式名称を『世界を照らす自由』という名の像である。 2. 1886年にフランスから, アメリカ建国と米仏友好100周年を記念して寄贈されたもので、 このフランスからのプレゼントの発案者は、 フランスの歴史家でもあり、政治家でもある『ラブレー』とい う人物だ。 3. フランスでの、大変な募金活動の結果、 フランス人の彫刻家『バルトルディ』によって設計されたこの像は、 1881年製作が開始された。 4. 彼女は、 ニューヨーク港の入口『リバティー島』に立ち, 右手に自由を象徴する『たいまつ』を, 左手には『独立宣言書』を抱えている。 両足は、奴隷制と独裁政治の象徴である『鎖』を踏みつけている。 5. 像の高さは46m,11角形の台座の高さが約47mで世界最大の女神像だ。 6. 巨大な女神像は、いったんばらばらにされ、 フランス軍艦に乗せられて大西洋を渡った。 7 ニューヨークで製作の中心となったのは、 像の内部を支える鉄骨構造を設計し、 のちに『エッフェル塔』を設計した『エッフェル』だ。 8. 『リバティ島』は、以前『ベッドロウ島』という名前だった。 とまあ、こんな感じだ。 ************* 今では、アメリカの顔である彼女も、 フランスから、送られた当初、 台座の制作費と設置費用を負担することになっていた、 アメリカ側の資金集めもだいぶ苦労したらしい。 あまりに寄付金が、集まらないので、 『アメリカの恥』とばかりに、 『ザ・ワールド』紙の社主 『ピューリッツァー』(有名ですね。)が、 自らの紙上で大々的な一大キャンペーンを行った。 結果、募金集めは大成功し、 女神の安息の地がなんとか出来あがったのだった。 彼女もさぞかし、ハラハラしただろう、 はるばるフランスからやってきたのに、 住むとこないんじゃネ。(笑) *********** 自由の女神は、 観光名所としても有名で、 国内、国外からたくさんの人が訪れている。 もちろん、 私がN.Yを訪れた際も、やはり見物に出かけた。 まず、ガイドさんから、すごく明るい声で、 『明日は、 自由の女神の宝冠のところまで登りまーす! みなさん、がんばりましょうねー♪そうそう、明日は、6時30分に迎えにいきま~す!』と、 前日、注意があった。 しかし、 私たちは、「なぜ、がんばりましょうね~♪」なのか、 まったく、意味がわからなかった...。 『なぜ、見学でがんばるのだろう?』という「?」が、 私の頭の中に残ったのだった。 翌日、早朝からたたき起こされた私たちは、 眠い目をこすりながら、ガイドさんに続いた。 フェリー乗り場まで行くと、 ガイドさんが、突然私たちに、 『走ってーーーーーっ、力いっぱい走ってーーーーっ!!』と叫ぶので、 わけもわからずに全員猛ダッシュした。 私は、まさか『自由の女神』の見学で、猛ダッシュするとは、思ってなかったので、 またパンプスをはいていた!! 「ひーっ!」、 と思いながら、 ヒールが折れないように必死で走ったものだ。 ********** そして、なんとか、『リバティー島』行きのフェリーに乗り込むと、 ガイドさんが、 『1番に乗れてよかったわ~、 もう次のフェリーだと後が大変なのよ~。』と、説明があった。 観光客が多くなって、 混雑する前になんとか、島に渡りたかったらしい。 フェリーの中には、『私たちは、観光客です!』という感じの人たちで、 ごったがえしていた。 とりわけ、 フェリー中の売店で売ってある「おもちゃの宝冠」をかぶった人たちは、 写真を撮りながら、 「あーっはっはっはっはっはっ!」 と、 大笑いしながら、騒いでいた..。 おや、歌まで、歌っている♪ 本当に陽気な人達だ。 私達は、朝1番の猛ダッシュで、 ぐったりしたため、ぼーっとそれを眺めていた。 ジャンル別一覧
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